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飛龍閣の日本庭園

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写真は東宮殿下(後の大正天皇)が宿泊した部屋とされる部屋から見た打吹公園内の日本庭園である。

この庭に、東宮殿下と、東郷平八郎海軍大将(のちに元帥)が植えた木があり、碑が残っている。

遠路から外れたいるため、人通りも少ない。
ここだけ時間がゆったりと流れているような気がする。

東宮殿下は、この場所から「遥かなまち倉吉」を見下ろし、どんなことを考えたのであろうか。

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東宮殿下御手植之松

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明治四十年五月十七日
ただし、はじめは四十一年となっていたものをセメントで埋めて消し、四十年としている。

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東郷海軍大将手植
明治四十年五月十八日

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# by st202_20040613 | 2007-03-25 00:05 | 打吹公園

本町通りアーケード

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写真は本町通アーケードからみた白壁土蔵群である。

倉吉では、平成10年に本町通りのアーケードのない東側300メートルについて、伝統的建造物群保存地区の指定をおこなった。
文化財として保存するべき地域として位置づけたわけである。

伝統的建造物群保存地区の指定に前後して、土蔵を活用した赤瓦1号館がオープンした。
赤瓦1号館は、観光の目玉であり、みやげ物の販売のほか、2階のオープンスペースは各種イベントが開催される。
関係者の様々な努力により、「赤瓦・白壁土蔵群」の愛称で年間30万人の人が訪れるようになった。

本町通りの西側の八橋往来は、平成13年の夢街道モデル地区の認定により、打吹地区歩行ネットワークが検討され、景観に配慮して自然色舗装が施された。

自然色舗装が施された八橋往来の沿道に、倉吉でもっとも古い町屋がある。
一度は取り壊し寸前であったが、大阪市民を巻き込んでの保存運動が行われ、現在、市が取得し、修理活用について模索している。

倉吉市は平成19年度から本町通アーケードの部分の整備に着手すると、長谷の観音市でアーケードの写真をとっている際に話す人がいた。
大本命がどんな展開をするのか目が離せない。

「遥かな町倉吉」がより一層魅力ある地域に生まれ変わるのを見守っていきたい。

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# by st202_20040613 | 2007-03-24 00:05 | アーケード

打吹公園の看板


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写真は各種100選が埋め込まれた打吹公園の看板である。
打吹山や羽衣池をバックに、記念撮影をするスポットでもある。

様々な100選となっているが、打吹公園ははじめから今の姿になったわけではない。
開園した明治時代以降、いろいろと手が加わっている。

一番最近は、平成15・16年の二ヵ年の開園100周年事業により、動物舎の改修、園路の自然色舗装、東屋・ベンチ・照明施設の設置が行われたことである。
バリアフリーに対応し、ベビーカーや車椅子でも楽に移動することができるようになった。
また健康ブームに対応し、休憩をする場所が増え、夜でも散歩することができるようになった。

一度整備が完了したらなかなか次の整備が行われないことが多い。
しかしながら、多くの人に親しまれる公園は、時代のニーズに従い進化する。

「遥かなまち倉吉」のシンボルである打吹公園は、いまでも成長しつづけている。

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日本の都市公園100選 打吹公園 平成元年7月 
緑の文明学会 財団法人 日本公園緑地協会

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さくら名所100選の地 打吹公園 平成2年3月3日
財団法人 日本さくらの会

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森林浴の森日本100選 打吹山 昭和61年4月
緑の文明学会 緑の文明総合研究所

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# by st202_20040613 | 2007-03-23 00:05 | 打吹公園

倉吉市役所の記念碑

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写真は、倉吉市役所建築の経緯を記す記念碑と、打吹山である。

記念碑を通じて、当時の人がどのような思いでひとつの事業を成し遂げたのかを伺うことができる。

市役所本庁舎は、約50年前の昭和の合併のシンボルであった。
地元出身の中央の建築士に設計を依頼し、当時の10億円の資金を調達し、完成した。
建物は、力強さに満ちており、完成した市役所本庁を目の当たりにした市民は、倉吉の新たな景観をよろこんだであろう。

合併をすることで、「おなじまちの人間」という仲間意識が生まれる。
平成の大合併を契機に、関金町のことをずいぶん勉強したし、よく遊びに行くようになった。
関金町の知人もずいぶん増えた。

昭和の合併においても、いっしょにまちをつくっていこうという気持ちがひとつになり、市役所本庁舎の建築という大事業を成し遂げることができた。

「遥かなまち倉吉」はその時代にふさわしいものを創造し、後世に残している。


今後、市内に点在する記念碑や看板などを、記念碑・看板シリーズと題し、「遥かなまち倉吉」について記述していきたいと思う。

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昭和二十八年十月一日市制実施 倉吉町 上小鴨村 北谷村
高城村 社村 西郷村 上井町 上北条町 灘手村の一部即ち
寺谷上神を合併し倉吉市として発足昭和三十年五月一日残る灘
手村を合併して人口52669人となった 時に新市庁舎建設
の議が熟し本市の中央部である打吹公園の一角を適地と選定し
ここに建設事業の発足をみた
郷土出身斯界の権威者東京大学教授岸田日出刀博士および同大
学助教授丹下健三氏の設計により国内に誇る屈指の風格をもつ
た近代建築が完成した 周囲大自然の環境に囲まれ全体に日本
■■にみる伝統が強勁に表現されているのは本建築の特徴であ
る 茲にこの碑をたて庁舎建設を永く記念する
  昭和三十二年九月 倉吉市長 早川忠篤 岩垣翠城題

(なお、わからない文字は■で表示)

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# by st202_20040613 | 2007-03-22 22:37 | 赤瓦・白壁土蔵群

打吹公園の春祭りの準備

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写真は、打吹公園入り口の歓迎用のゲートとぼんぼりである。
これが建てられると、春の準備が始まったのだなあと思う。

打吹公園は大正天皇(当時皇太子)が山陰啓行の際に築造され、平成16年に公園開園100周年を迎えた歴史ある公園であり、桜の名所100選、森林浴の森100選、日本の都市公園100選に選定されている。

これだけ立派な公園をつくり、守ってきたのは並大抵のことではなく、当時の倉吉町は、大正天皇を歓迎する機運が非常に高まったことが推測される。

現代の倉吉のまちづくりも転換期にきているように思う。
倉吉町のあった本町通りを中心に、新たな動きが出てきている。

一度大きな仕事を成し遂げたまちは、再び大きな仕事をやろうとしている。
そんな雰囲気が「遥かなまち倉吉」にはたしかに存在するような気がする。

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# by st202_20040613 | 2007-03-21 01:26 | 打吹公園