<   2007年 03月 ( 36 )   > この月の画像一覧

市街地の運動場

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写真は倉吉パークスクエアに隣接するラグビー場である。

土地区画整理が実施された市街地でこれだけの土地を所有し、市民のために解放しているところがほかにあるだろうか。
あったとしても、利用料を徴収しているであろう。

子どもを育てる親としては、子どもが自由に安心して走り回ったり、ボールあそびをする場所が、すぐ近くにあることは非常にありがたい。

青空の下で、のびのびと過ごす時間が、子どもには大切である。

子どもを育てるにはそれなりの環境が必要であり、「遥かなまち倉吉」には、必要な環境を残してくれた先人がいる。

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by st202_20040613 | 2007-03-26 23:02 | 倉吉パークスクエア

倉吉の夕方の風景

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写真は、散歩しているときにとった写真である。

別に山とか人里はなれた場所にわざわざいって撮影したものではない。
実際のところ倉吉駅から半径100メートル圏内で撮影した。

倉吉はまちのすぐそばに山や川などの多くの自然がある。
要所要所に大きな木があり、地域のシンボルとして大切にされている。

まちの中で、木々が花をつけ、葉が生い繁るので、その時々で季節を感じることができる。

「遥かなまち倉吉」は、一日でできたのではなく、日々の時間の流れを感じながら積み重ねられたものである。

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by st202_20040613 | 2007-03-25 23:20 | 倉吉の風景

歴史講談

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写真は、登録有形文化財である豊田家住宅で開催される歴史講談の道案内の看板である。

ここで開催される歴史講談は、倉吉にまつわる史実をもとに構成されており、現在、「たまゆらの人生、里見安房忠義」「淀屋の光と影」の2つが上演されている。

里見安房忠義は、滝沢馬琴の南総里見物語のイメージが一般に知られている。
また、淀屋は、大阪の豪商のイメージが一般に知られている。

しかし、倉吉の歴史講談は、一般に知られている華やかさはなく、陰の悲しい出来事を取り上げており、涙を誘う内容となっている。

独特の語り口が、いっそう登場人物の無念さを増幅させる。

倉吉に立ち寄った際には、ぜひ「遥かなまち倉吉」の異なる側面を垣間見せる歴史講談をぜひきいていただきたい。(11:00~11:30/13:30~14:00 オリジナルのお菓子付き)

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by st202_20040613 | 2007-03-25 22:49 | アーケード

淀屋牧田家の松

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写真は、淀屋牧田家に植えてある松である。

右端に見える建物は、
建物の外観は後世の改変により、当時の面影がわかりにくくなっているが、
倉吉で確認されている一番最古の町屋で、淀屋牧田家ゆかりの建物である。

淀屋は、大阪の中ノ島開発や、先物取引で財をなした大阪の豪商である。

大阪の淀屋と倉吉の淀屋牧田家とは、
様々な方面から推測するに、深いつながりがあったようだ。

そのため近年、倉吉・大阪にて交互に淀屋サミットが開催されるようになった。

この大きな松は、時代をこえて、
「遥かなまち倉吉」と大阪との交流を見守り続けている。

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by st202_20040613 | 2007-03-25 22:09 | 淀屋牧田家

ふれあい広場

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写真は倉吉パークスクエアのふれあい広場である。

左側の建物が、アトリウムである。
色はいわゆる赤瓦色である。

右側の山は、打吹山である。
スダシイの原生林であり、気軽に森林浴を楽しむことができる。

どちらも市内のいたるところから見える。

昔の人は、打吹山を見て、倉吉にやっとついたなあと感じたであろう。
今の人は、倉吉パークスクエアのアトリウムを目指して倉吉のまちにやってくる。

いずれも「遥かなまち倉吉」のシンボルである。

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by st202_20040613 | 2007-03-25 21:43 | 倉吉パークスクエア

くらよし大市

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写真は倉吉パークスクエアのふれあい広場で開催されるフリーマーケット「くらよし大市」の様子である。

倉吉パークスクエアには、ふれあい広場のほか、1,500人収容可能な市民ホール「未来中心」、男女共同参画センター「よりん彩」、鳥取二十世紀梨記念館、倉吉市立図書館、倉吉市営温水プール、大型遊具、飲食物販施設「食彩館」などがあり、鳥取県内屈指の集客力をほこる。

月に一度の開催されるのが、フリーマーケット「くらよし大市」である。
1・2月は冬季休業でお休みだったので、3ヶ月ぶりの開催である。

このフリーマーケットの特徴は、なにより人の多さである。
今日も朝雨が降っていたにもかかわらず、100ブースくらい出店があった。

出店者の多くは女性で、若い人も結構いる。
売られているものは女性向や子供服が多いが、骨董品・反物・絣、子供に人気のトレーディングカードなど、素人とは思えないような品物を扱うブースがある。
ものを売るだけでなく、似顔絵をする絵描きさんや、美容院まである。

「遥かなまち倉吉」の交流の場所である「くらよし大市」に、ぜひ機会があれば立ち寄っていただきたい。(開催は毎月最終日曜日の朝8時30分から昼12時まで)
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by st202_20040613 | 2007-03-25 20:04 | 倉吉パークスクエア

飛龍閣の日本庭園

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写真は東宮殿下(後の大正天皇)が宿泊した部屋とされる部屋から見た打吹公園内の日本庭園である。

この庭に、東宮殿下と、東郷平八郎海軍大将(のちに元帥)が植えた木があり、碑が残っている。

遠路から外れたいるため、人通りも少ない。
ここだけ時間がゆったりと流れているような気がする。

東宮殿下は、この場所から「遥かなまち倉吉」を見下ろし、どんなことを考えたのであろうか。

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東宮殿下御手植之松

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明治四十年五月十七日
ただし、はじめは四十一年となっていたものをセメントで埋めて消し、四十年としている。

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東郷海軍大将手植
明治四十年五月十八日

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by st202_20040613 | 2007-03-25 00:05 | 打吹公園

本町通りアーケード

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写真は本町通アーケードからみた白壁土蔵群である。

倉吉では、平成10年に本町通りのアーケードのない東側300メートルについて、伝統的建造物群保存地区の指定をおこなった。
文化財として保存するべき地域として位置づけたわけである。

伝統的建造物群保存地区の指定に前後して、土蔵を活用した赤瓦1号館がオープンした。
赤瓦1号館は、観光の目玉であり、みやげ物の販売のほか、2階のオープンスペースは各種イベントが開催される。
関係者の様々な努力により、「赤瓦・白壁土蔵群」の愛称で年間30万人の人が訪れるようになった。

本町通りの西側の八橋往来は、平成13年の夢街道モデル地区の認定により、打吹地区歩行ネットワークが検討され、景観に配慮して自然色舗装が施された。

自然色舗装が施された八橋往来の沿道に、倉吉でもっとも古い町屋がある。
一度は取り壊し寸前であったが、大阪市民を巻き込んでの保存運動が行われ、現在、市が取得し、修理活用について模索している。

倉吉市は平成19年度から本町通アーケードの部分の整備に着手すると、長谷の観音市でアーケードの写真をとっている際に話す人がいた。
大本命がどんな展開をするのか目が離せない。

「遥かな町倉吉」がより一層魅力ある地域に生まれ変わるのを見守っていきたい。

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by st202_20040613 | 2007-03-24 00:05 | アーケード

打吹公園の看板


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写真は各種100選が埋め込まれた打吹公園の看板である。
打吹山や羽衣池をバックに、記念撮影をするスポットでもある。

様々な100選となっているが、打吹公園ははじめから今の姿になったわけではない。
開園した明治時代以降、いろいろと手が加わっている。

一番最近は、平成15・16年の二ヵ年の開園100周年事業により、動物舎の改修、園路の自然色舗装、東屋・ベンチ・照明施設の設置が行われたことである。
バリアフリーに対応し、ベビーカーや車椅子でも楽に移動することができるようになった。
また健康ブームに対応し、休憩をする場所が増え、夜でも散歩することができるようになった。

一度整備が完了したらなかなか次の整備が行われないことが多い。
しかしながら、多くの人に親しまれる公園は、時代のニーズに従い進化する。

「遥かなまち倉吉」のシンボルである打吹公園は、いまでも成長しつづけている。

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日本の都市公園100選 打吹公園 平成元年7月 
緑の文明学会 財団法人 日本公園緑地協会

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さくら名所100選の地 打吹公園 平成2年3月3日
財団法人 日本さくらの会

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森林浴の森日本100選 打吹山 昭和61年4月
緑の文明学会 緑の文明総合研究所

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by st202_20040613 | 2007-03-23 00:05 | 打吹公園

倉吉市役所の記念碑

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写真は、倉吉市役所建築の経緯を記す記念碑と、打吹山である。

記念碑を通じて、当時の人がどのような思いでひとつの事業を成し遂げたのかを伺うことができる。

市役所本庁舎は、約50年前の昭和の合併のシンボルであった。
地元出身の中央の建築士に設計を依頼し、当時の10億円の資金を調達し、完成した。
建物は、力強さに満ちており、完成した市役所本庁を目の当たりにした市民は、倉吉の新たな景観をよろこんだであろう。

合併をすることで、「おなじまちの人間」という仲間意識が生まれる。
平成の大合併を契機に、関金町のことをずいぶん勉強したし、よく遊びに行くようになった。
関金町の知人もずいぶん増えた。

昭和の合併においても、いっしょにまちをつくっていこうという気持ちがひとつになり、市役所本庁舎の建築という大事業を成し遂げることができた。

「遥かなまち倉吉」はその時代にふさわしいものを創造し、後世に残している。


今後、市内に点在する記念碑や看板などを、記念碑・看板シリーズと題し、「遥かなまち倉吉」について記述していきたいと思う。

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昭和二十八年十月一日市制実施 倉吉町 上小鴨村 北谷村
高城村 社村 西郷村 上井町 上北条町 灘手村の一部即ち
寺谷上神を合併し倉吉市として発足昭和三十年五月一日残る灘
手村を合併して人口52669人となった 時に新市庁舎建設
の議が熟し本市の中央部である打吹公園の一角を適地と選定し
ここに建設事業の発足をみた
郷土出身斯界の権威者東京大学教授岸田日出刀博士および同大
学助教授丹下健三氏の設計により国内に誇る屈指の風格をもつ
た近代建築が完成した 周囲大自然の環境に囲まれ全体に日本
■■にみる伝統が強勁に表現されているのは本建築の特徴であ
る 茲にこの碑をたて庁舎建設を永く記念する
  昭和三十二年九月 倉吉市長 早川忠篤 岩垣翠城題

(なお、わからない文字は■で表示)

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by st202_20040613 | 2007-03-22 22:37 | 赤瓦・白壁土蔵群